日本遺産:村上水軍の時代を超えて受け継がれる経営哲学
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戦国時代、日本最大の海運業者として瀬戸内の海を守った「村上水軍」。村上水軍各家には、卓抜した経営の技量を持つ人が多く、各家とも、多数の企業経営者を排出しています。彼らの経営哲学は「牽制と連携」というキーワードにあり、現代の企業経営にも参考になる面が多くあります。
今回は、村上水軍についてよく知る園尾隆司氏(以下、園尾氏)から、村上家(以下、村上水軍)の経営哲学の鍵となる「牽制と連携」について伺いました。園尾氏は、2014年に国際海運企業の民事再生事件の代理人を務めたことがきっかけで村上家に興味を持ち、独自の調査や村上家の末裔の方々との取材を重ね、「村上水軍 その真実の歴史と経営哲学」という本を出版されています。
村上水軍の始まり
インタビュアー:村上水軍とはどのような方々なのでしょうか。
園尾氏:村上水軍は、古代後期から中世にかけて瀬戸内海で活躍した海上勢力です。14世紀後半には能島(のしま)・来島(くるしま)・因島(いんのしま)の3島にそれぞれ本拠をおいた3家が鼎立する体制となり、互いに競いつつも、強い同族意識を持ってきました。彼らは、海の難所である芸予諸島で育まれた海上機動力を背景に、中世後期の戦国時代になると瀬戸内海の広い海域を連携して支配し、国内の軍事・政治や海運の動向をも左右する存在となりました。
彼らは、武士団であるばかりでなく、海のスペシャリストであり、海の安全や交易・流通を担う重要な役目も果たしていました。瀬戸内海には、村上3水軍に加え、河野(こうの)水軍、忽那(くつな)水軍、塩飽(しわく)水軍の瀬戸内6水軍がありましたが、村上3水軍はその最大勢力であり、瀬戸内海の海域を治め、通る船の安全を守る「海の領主」だったのです。
現在も、愛媛県今治市で海事産業に従事する方々の中には、村上家の末裔が多くいるとされています。村上家には今も口頭伝承で伝わる教えがあり、その教えによる彼らの経営哲学は、現代の中小企業の羅針盤となり得ると考えています。
村上水軍の経営哲学:「牽制と連携」
インタビュアー:日本各地にはいくつか水軍がありますが、なぜ村上水軍が注目されるようになってきたのでしょうか。
園尾氏:瀬戸内6水軍は、生まれてきた当初は、いずれも武装して船を守りつつ海運業を営む海運業者でした。物資の運送手段として船が最も重要な存在であった当時、そこから得られる収益は莫大なものであったため、その財力を背景に、その後、それぞれが勢力を伸ばしました。
こうして、瀬戸内6水軍は、それぞれが各海域で独立しながら、航行船舶の警護と通関税にの徴収という目的で連携していきました。各水軍が航行料を取って二重・三重の徴収となることを避けるため、瀬戸内6水軍は協定を結び、統一価格で、かつ、その支払証書を持った者は皆で協同して守っていくという連合関係を作ってきたのです。その中でも、能島村上水軍の勢力が最も強く、協定をリードする役割を担ったことから、村上水軍が日本最強の水軍として注目される存在になってきました。
インタビュアー:村上水軍の経営哲学の鍵は「牽制と連携」ですが、村上水軍の経営の特徴はどこにあったのでしょうか。
園尾氏:村上水軍の末裔の経営者の方々に最初にお会いしとときに言われたのが、「自分たちは『牽制と連携』によって海運業を営んでいる」という言葉でした。西洋風の考えでは、吸収合併などにより強者が弱者を配下に入れるのですが、村上水軍の末裔の方々は、そういうことは全く考えないのです。村上水軍の人たちは、連携して勢力の保持伸張を図りますが、それを超えて弱い者を支配するとか、傘下に収めて統合していくということはしてきませんでした。
インタビュアー:それはなぜですか?
園尾氏:それは、海での潮の流れや岩礁の状況などが海域ごとに違っていて、その海域を最もよく知る一族がそこを治めるのが最適であるということが基本にあったからです。
連携をなぜ重視するかというと、自分に良くできること、得意とすることで勝負をしていくためです。自分が得意とする分野から大きく逸脱したことはしません。他の分野については、そこに得意な人と連携していくのです。これは、伝統的な日本の事業運営の手法でもあります。
得意な部分については、自分がプロフェッショナルとしての誇りを持ってやっていきます。これは職人気質と言ってよいと思います。「ここは俺に任せてくれれば必ず上手くやる」という自負を持ち、それぞれの分野ごとに優れた仕事をし、他の分野については、その分野に堪能な人と連携してやっていくという考えです。たとえそれが儲けの多い分野だとしても、自分が不得意なところにまで進出して支配を広げようという発想を持たないのです。
村上水軍の末裔の方々の経営手法を見てみますと、日本の各地に多数存在する「老舗」と言われる方々の営業の仕方と共通するものがあると感じます。自分の得意な分野に集中して腕を磨き、力を集中させていく、得意でない分野については手を出さず、その分野に堪能な人と連携するという経営手法です。一つの大きな仕事をするには、多くの人と連携しなければならないのですが、それはそれぞれのプロフェッショナルを信頼することによって達成されていくのです。
各分野ごとの自主性を尊重しながら協定を結んでいく訳ですから、誰かがその協定の維持を困難とするようなことをすると、体制全体に響きます。これを仲間が相互に監視して、調和を乱す行為を抑制します。それが「牽制」の部分です。
インタビュアー:なるほど。「牽制」についてもう少し詳しくお聞かせください。
園尾氏:「牽制」と言うのは、単に競争したり、敵対したりするということではありません。連携を乱すような不正な行為や贅沢奢侈な行為に対しては、「何やっているんだ」と相互に厳しく批判して、協同してそれを止めさせていくのです。「連携」に加えて、「牽制」の体制も組織生成の当初から備わっていたように思います。不正な行為や不適切な行為を共同して抑制すること、それが「牽制」なのです。これは、競争して相手を潰す攻撃ではなく、ルール違反や規律違反というような連携を乱す行為があった時に初めて発動するものなのです。
インタビュアー:それは持続可能な経営、ビジネスの基盤となるのですね。
園尾氏:はい、それが海運業の内部からの腐敗を防いで、千年もの間これを持続させてきた原動力となっていると思います。つまり、「連携と牽制」の中で、専門性の高い仕事を連携して行いつつ、腐敗していくのを防いできたということです。それぞれの分野で、各構成員が自分の能力の限りを尽くしつつ、連携を害する要因を小さなうちから摘み取っていくという組織運営がこの中に見て取れるように思います。
終わりに
村上水軍は、西洋型の「強者が弱者を配下に入れる」という手法を取らず、独自の経営哲学を通して、幾度となく襲った組織存亡の危機を乗り越えてきました。村上海賊の経営哲学には、牽制と連携以外にも経営を支えるヒントとなる知識が受け継がれています。村上水軍の歴史や生活環境を紐解いていくと、より理解が深まるのではないでしょうか。
また村上水軍が活躍した芸予諸島(広島県・愛媛県)は、2016年に日本遺産に登録されています一つのテーマをもとに、地域に点在する有形・無形の文化財に物語性を持たせ、観光振興や文化継承を図ることを目的としたものが「日本遺産」です。有形無形の文化財が一つのストーリーで繋がる日本遺産は、歴史的な背景など観光地への理解が深まるほか、今まで知らなかった場所を見つけるきっかけにもなります。
こちらのツアーでは、村上水軍に纏わる場所や資料館を巡るほか、瀬戸内海に浮かぶ芸予諸島のあり潮流を体験できます。地元の人との「出会い」や「学び」は、あなたの視野を広げてくれることでしょう。
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